2017-05-13

いまだに続く血液型ネガティヴキャンペーン〜その行方は?


先日、テレビ朝日のバラエティ番組で血液型の特集が放映されました。
当センターもこの番組が企画された最初に取材を受けました。
血液型をテレビの番組で取り上げるとき、大方の場合、一度はこちらに問い合わせがあります。もちろん、それでこちらの意図が通るか、与えられる情報があるかないか、あるいはその企画が実現するかしないかは、まだ分からないという段階です。
それでも何でも、正直に言うと、テレビからの問い合わせや取材は、仕事の中で最もストレスが大きいのです。

「どうか、どうか、少しでも事実を伝えるマシな番組になりますように...」
と、祈るような気持ちになってしまうわけです。
自分でも少々過敏すぎるかもしれないとも思うのですが、過去ウン十年、何十本もの番組に協力してきて、胸を撫で下ろしたのって数回くらい...しかもそういうのはたいてい地方テレビだった、というこれまでの実体があるものですから、まあ仕方ないところもあるのです。
あまりにもエネルギーを消耗するものだから、その後、その企画がどうなったのかというところを、あまり追及しないことにしています。
後は流れに任せてなるようになれという、投げやりというか、居直りというか、そんな気持ちでいるのです。

それで、結局どうなったかを知らずにいたのですが、どうやら企画が通り、放送されたようで、研究員やら友人ら、周囲の人々が観たよと報告してくれました。
そして、私の友はキッパリ言いました。
「え?何これ?って内容だっのよ」
私はほとんど察しがついたので「きっと中途半端な番組だったんでしょ?」と言うと
「そうなの、その通りよ。何が言いたかったのか分からないしさ、観て損したって感じよ」

ああまったく...。
テレビは相変わらずなのだなあと、またおんなじようにがっかりするハメになりました。

結局、何が上手くいかないのかというと、優柔不断な番組づくりをするからなのでしょう。
血液型のことはテーマにしたい。(視聴率もあがるんだし)
けれど科学的裏付けを示さないと(今時のご時世)やれない。
という、2つの意図で行ったり来たりしながら、肯定したいような、批判したいような、変にあやふやな内容にするからなのです。
先ほど、地方テレビは胸をなで下ろす番組....と書きましたが、上質なものばかりでした。
理由は簡単で、地方テレビは、主要メディアに比べたら、ずっと素直に取り扱ってくれてきたからなのです。
そしてそういう番組は、観ている視聴者を安心させ、気分よくさせるのです。
どういうことかといいますと、たとえば、未熟な俳優さんの演技を観ていると、ハラハラして疲れるじゃないですか。しかし、役に成り切った上手な俳優さんの演技は安心して楽しめますよね、それと同じなのです。
そうしてみれば、何というか、主要メディアがどれだけ冒されているか、ということでもありますが。(何に冒されてるんだ?)

とにかくまあ、結局、現代科学の幻想に囚われて権威に頼っているうちは、メディアはそのジレンマから脱却できないでしょう。

もちろん、血液型人間学は科学として研究するテーマであり、遺伝子や物理学や、細胞学や、人間科学が進歩しなければ解明されない研究です。
けれどその、誰かれさんらが崇拝する現代科学が、どこまで人間の本質を理解しているのやら、です。
それがもし、人間の数%しか分かっていないのだとしたら、その中で話せる事など大したもんではありません。

能見正比古が凄かったのは、当時の科学をはるかに越えた先を見通しながら、データと観察で事実を突き止めたからです。
それは彼の想像力+創造力の賜物です。
人間の本当の優れた能力とは、既に証明された事実を捏ねくりまわす事ではなく、いかに創造し、新たな真実を追究するかというところにあるのではないでしょうか。

そして大事なことを加えるなら、私は知っているのです。
能見正比古、俊賢が、どれほど純粋な人間愛で、この研究を進めたのかを。
そうしてつくづく思うのは、愛に基づいた彼らの活動は、未だに根付いている、分離の甚だしい世界では、活かすことが難しいのだろうかと。
人々が、本当に愛ある世界を築こうと目覚めたとき、そのときやっと、真実を見ようとするのかもしれないのです。

今しばらく、辛抱強く待つことにしますか。